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Will I ? 2

mokona911.exblog.jp

猫と音楽とカフェとカレーと     そんなものたちを愛しておりますな~ごです♪尚、TB、RINKをしてくださいます時は、存じ上げない方にはご一報くださいますようお願い申し上げます。

海外旅行アレコレ ○0年前の台湾出張

☆ えー、テンプレ変えました。
 色々と暗いことばかり続くので
 気持ちが春になるといいなー、というので。
 ついでに、メニュー部分のみやすいのに、と色々いじくって、
最新記事が出るようになったのはいいんですが、
これ発表順でなく、作成順で出るんですよね。
 そりゃー、意味ないじゃんと思いつつもあれば便利だろうと、そのままいきます。
 メニューの見直し中に誤ってリンク先を消したしまったものがあります。
 おいおい直したいのですが・・・、何故かうまくいかなくって。すみません。
 
 それから、まだ途中ですが、タグ表示を地域にしていこうと思ってます。
 そうすると後から記事を探す時に(探してくれる方がいれば、の話なんですが。)
 地域で探せば探しやすいかなあと思いました。
 思ったような画面って難しいです。
 なかなか行き届きませんが、よろしくお願いします。


○さて、本題。
ええと、ワタシの海外旅行話が、みょーに内輪ウケしてるようなので、
又調子に乗って書いてみました。
これを機に以前の旅行の記録も兼ねてできればな、と思っています。ご興味のある方のみどうぞ。
感想いただけるとうれしいかもです。


母の遺品を整理していたら、なんと古い保険証だのの間から、
エアメイルが出てきました!
しかも、封筒は漢字。台湾からだ!誰からだ?!って思ったら、
                                    ・・・若かりしのワタシからでした。
お母さん、これ後生大事にとっといてくれたの?
そう思うとやはり涙もろくもなり、最近まで中身をあけてなかったんですが、
先日思い出して読んでみました。





これは、まだワタシが20代前半に某やくざな商売の中で
初で最後の海外出張をしたときの台湾行きです。
当時、会社が台湾に仕事をグロスで出していたのだけど、チーフは日本人を送っていました。
で、色々あって、人がいなくなり、基本的に女性は海外には普通出さないはずなのに
2週間ばかり行ってくれないか?という話が上から来たわけです。
ようするに、つなぎですね。
その時、確かに日本のスタジオには行ける様な人間(パスポート持っていて、演出チェックが出来、海千山千なはったりのきく。大笑)がワタシくらいしか残っていなかったのは確かだったようです。
仕事が込んでてで出払っちゃってたんですね。
ところで、当時は台湾、韓国に女性一人で行く、なんていうのは危険きまわりなく
というより、男性天国の風潮がありましたから、即答は出来ませんでした。
ただ、ちょうどその時に台湾にいるメンバーが非常にいい人たちであること、
ほとんどが仕事で面識があること、
ちょうどチーフディレクターも向こうに行ってること、
少ない時は2人くらいしかいない日本人が、その時は5人も向こうに行っていること。
国内の仕事を2週間くらい先に延ばしてもワタシには支障がないことで、
ワタシは行ってみたいが、家族が・・・。
と言ったら、なんと説明の電話をしてくれました。
ワタシから頼んだわけじゃありませんけれども。いい時代というか、過保護というか。
(実際、その時、ワタシが初女性台湾出張だったようです。その後のことは知らんなー。)
しかも、行きはプロデューサーが一緒なので不安感はなし、
その代わり荷物はやたら多かった。漬物だとか、ダンボールであかいきつねとか緑のたぬきとかを持っていくわけです。\中華料理にあきて、向こうで欲しがってるから。

ともかく、ワタシの向こうでの仕事は、チェックの遅れているスケジュールをなんとかすること、
かつ、向こうで手の足りない直しを手伝うこと、でした。
それはかなり大変な仕事と思っていましたが、いざ蓋をあけたら、
あちらの人間とのコミュニケーションが思った以上に楽に出来、そのおかげで最初はともかく、
3日後くらいからすいすいと行き始めたのです。
あちらにいたメンバーのおかげもあるかもしれません。
いいことに、人好きするような人のいいメンバーばかりがそろっていたわけです。

写真もそんなには撮っていないし、向こうでの記憶も案外仕事の内容とかは覚えているのに
皆そろってホテルから行き来したり、と仲良く楽しくしてたり、
ホテルのおばちゃんが日本語ぺらぺらで、随分心配して(夜は遅く出歩くな、とかうるさかった。)
世話してくれたり、日本にいるときよりよっぽど健康的に仕事はできたし、
帰国がワタシ一人で帰ったけれど、ビジネスクラスにグレードアップだったもんで、
(オーバーブッキングで)すごく楽させてもらい、しばらく会社の連中から嫉妬のまなざしを受けた(笑)こと、くらいしか印象になかったのです。その時の美味しかったのは水餃子。そのくらいだし、もちろん食べ物の写真も撮っていない、つまんないですねー。

でも、その出てきた手紙、今のブログをやりだすような片鱗がしっかりあらわれてるので、
われながらアホやなー、って思います。
又、母相手にアレコレ細かいことを報告してるわけで。
母を安心させようと若いワタシはしていたのでしょうかね。今となっては覚えていないや。
いい加減な。

仕事の内容や、誰が一緒にいるか、とかも書いてますが、すっかり忘れていたような内容が出てきました。
以下、文章そのままです。
「ええと、プロデューサーが一緒なので、こちらに来てから一度も夕飯、自分で出していません。
1日目は台湾料理、2日目は台湾の会社(の接待で)が四川料理、3日目はホテルの近くの(有名だという)ステーキ屋さんでコースを、4日目の今日は日本料理屋でおすしを食べました。
お昼ごはんも、その会社の下に来るお弁当やさんので食べるとまあまあ美味しいし、会社のまわりには食べるところがないのです。
1食120円から200円ですんでしまうし・・・・・後略」
いやー、手紙とか日記とかって残しておくものですね、おもしろいおもしろい!
さすがに何食べた、っていうのまでは書いてない。
この後、皆がもう中華はいやだ、とか言うので、ホテルの側のいかにも昔の日本の洋食やさんみたいなところで、とんかつかなんか食べてそれがみょーに美味しかったのも思い出しました。
台湾の会社の社員の人たちはとてもいい人ばかりで、よく言われたのが、日本人もいい人がいるのね、でした。そんな時代です。(自分がすごーーーーく年寄りな気分ですが。)

向こうの社員の制作の徴兵の兵役を終えたばかりの好青年が、あるとき水餃子を食べに連れて行ってくれました。その時の事は結構鮮明に覚えているので、よほど楽しかったのでしょう。
母への手紙にも書いてありました。

「午前中バスで(なんとバス代が36円です。)故宮博物館に行き、帰ってきてから餃子を食べに行ったのですが、これが又なんとも硬くって。水餃子は美味しかったけど。後は麺が香辛料がきつくって誰もまともに食べれなかったのでした。」

あちらで焼き餃子はめったになくて、水餃子ばかり。ワタシはそれでよかったんですが、
台湾滞在が長い面々が。。。
そうそう、わざわざ焼き餃子を頼んだらまずかったわけです。
水餃子は確か5人で200個頼んで3分の1くらいお持ち帰りだったかと思います。
その香辛料がきつかったという麺は、今にして思えば牛肉麺で、パクチーがたくさんのっていました。
たぶん、肉が臭かったのではないかと思いますが、実はその時の麺がトラウマでしばらくワタシはパクチー嫌いだったのです。今じゃパクチー増量なのに。
その時、一緒にテーブルについていた面々、台湾の制作のメンズ1名除いてみな日本人メンズの一人に、
その麺食べれたら好きなだけマンゴー買ってやる、といわれたのを覚えています。
(その頃すでにマンゴー好きだったわけですね。しかも、知れ渡ってるという。笑)
結局マンゴーはあきらめたわけですが、誰に言われたのかは覚えていますよ。その後、ワタシの結婚式の時に司会を頼んだOさんです。覚えてるもんだねー。

餃子を食べてから向こうで親しくなった、周さんという女の子とワタシは待ち合わせてデパートとパルコに行ったようです。
「ほんとに、こっちにはあんまり買いたいものがないです。あ、本屋は大きいのも小さいのもたくさんあります。・・・中略・・・ホテルの側にも汚い古い本屋が1軒あります。
・・・中略・・・洋服類はちょっと食指が動かないほど安っぽくてださくって。靴やサンダルは悪くないし、安いです。」

すっごい失礼な。(笑)
デパートででかいアライグマのぬいぐるみを何故か買い込み、それを帰りの荷物の一番上に入れておいたら税関の職員に贈り物?と聞かれ、いえ、自分のです。と答えたんだよなー。その後その下を職員見なかった。
それを後で会社で言ったら、じゃー頼めばよかったなあと。(その筋の雑誌とかですね。)
ばっかも~~~んっ!
まったくいい時代でしたね。

帰国の前の前の日、ものすごい雨風で浸水状態になり、ホテルの水周りも大変なことに。
いちいちオバちゃんがトイレを流す水をバケツで運んでくれました。
ホテルの部屋は上のほうなので、問題はそれだけでした。
浸水が落ち着いた後、周りの食堂とかを見てみたら、普段床の上に野菜が置いてあるようなところの、
床から数10センチ上のところに水の後があり、結構ぞっとしました。
今はもっと衛生上うるさいと思いますが、当時は夜店のものは食べるな、と
会社から厳命が出ていて、(それなりに実は食べてましたが。)それかー!と思ったのでした。

帰国の日、最初は一緒に帰るはずだったプロデューサーは仕事の都合で共に帰れなくなり
ワタシはひとりで空港バスに乗り込みました。
やっぱり過保護だったのか、それとも皆暇をもてあましててなのか今となっては
わかりませんが、何故か外には見送りの皆が。
結構バスの中で恥ずかしかったんですけどねえ。万歳してるし!
ワタシが帰るのうれしいの!?

空港ついてチェックインしてぶらぶらお土産見てると、おばちゃんに(よくおばちゃんに声をかけられるジョシだった。今はムスメっちが受け継いでます。)英語で声かけられて、ハウマッチ?って聞いたら思ってたより高かったので、とっさにへー、高い~、とか言ったのよね。
そしたら、おばちゃん、あら、日本人?シンガポールあたりかと思ったわって。
・・・何故シンガポール。

その後、「日本語で」おばちゃんと話がはずみ、日本のジョシがひとりでしかもアレじゃない仕事で飛行機にひとりで乗るなんて、と心配され、ゲートナンバーやら時刻やらを心配される始末。
そういえば、メキシコのホテルの受付のおばちゃんにも同じ心配をされたなあー。
そんなに20代のワタシ、あぶなげだったんでしょうか?うーん。
それから、ゲートで名前呼ばれて行ったら、ブッキングオーバーでエコノミーからビジネスへ移っていただいてよろしいですか?と。はい!よろしいですとも!!

その時のビジネスは飛行機の2階で、昇って行って座ったら、
なんだ?このジョシは?という目で日本のサラリーマンに見られました。
わたしゃ仕事だよ!って。当時からそういう意味では女優だったので、
ビジネスクラス始めてなんておくびにもださず、もうしょっちゅう乗ってるわよ、顔をして、
ディナーを食べ終わったかデザートがぎりぎりセーフくらいには成田に着きました。

その後、上海に行く話は上海の会社との取引が流れ、ロスのディズニーランドつきのロスの話は
そんな暇はない!という制作の判断で立ち消え、(ひどい!!とかなり皆で怒った!!)
それでもロスに行ってた人の話によると1軒屋でプールつきだったそうで。うらやましかったなあ。
そのロス行ってた人は後で聞いたら向こうの会社に引き抜かれ、結局向こうでグリーンカードをとったそうです。多摩の呉服屋の若旦那だったはずなのに。文庫本1冊返ってこなかったな。

そんな昔話でした。ご静聴、感謝でございます。
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by mokonak4cat | 2010-03-10 23:15 | ひとり言